最後はやっぱり靈氣でお別れ
直伝靈氣師範のながよしです。
年末に母が91年の生涯を終えました。
まさか年の締めくくりの日に人生を締めくくるなんてばあちゃんもやってくれたもんです。
食事をしている最中に意識を失い病院に運ばれてそのまま帰らぬ人に。
「状況からみて恐らくは老衰だったのしょうね。少しも苦しまずに亡くなられたと思いますよ。」というお医者さんの言葉が私達家族の救いでした。
亡くなる数日前に体調を崩し、翌日にはすぐに食事もとれるようになったけど、もの凄く眠たがっておりました。こんなに爆睡しつづけるなんて・・・。
病院に連れて行くべきか悩みましたが、心は決まっていました。
今連れて行ったら、きっと会えなくなる。
だから、一緒に過ごすことにしたんです。靈氣をしながら。
主人と私と娘の三人でそれぞれ自発的に遠隔靈氣を続けておりました。
手に伝わる反応から、ばあちゃんの生命力の強さを感じとっておりました。
だから安心していたんです。
まだまだ大丈夫って。
でも知ったのです。
生命力の強さとは、生きている時間の長さだけではないことを。
ばあちゃんは、定められた時間を最後の最後まで人間らしく自分らしく生きようとする力をみせてくれたのです。
あんなに靈氣が流れていたのに、なぜ死んじゃったの?って全然意味が分からなかったけど、本当はこの数日間の出来事はすべてが奇跡だったのだと思ったのです。
寿命というものが決まっていたなら、本当は体調を崩したあの日にとっくに入院になっていたかもしれません。そして管をつけられたり、酸素吸入をしながら「その日」がくるまで病院のベッドで爆睡していたのかもしれません。
しかし、家族の懸命な靈氣のおかげで、食事も自力でとれていたし、食べ終わるとすぐに眠ろうとするのを家族がいろいろ話かけるもんだから愛想笑いをしてくれることもできました。
何か食べたいものある?って聞くと「な~んでも食べたい」って答えてくれたり、椅子に座らせても眠ろうとするので、大好きな懐メロをYouTubeで流してあげると、顔は眠っているけど、ちゃんと手は拍子をとっていてずっとリズムに合わせておりました。
最後の食事も自分の手でお茶碗と箸を持ってご飯や和え物を上手に食べていたんです。
でも途中で箸を落としてしまい、気付くとやっぱり眠ってて。
そのまま意識がなくなりました。
私の腕の中におさまるようにすーっと。
ギリギリまで、いつもとあまり変わらない日常の中で苦しいことも気付かずに眠りながら逝くなんて、本人にとってはどれほど幸せなことだったかしれません。
そして私達も、その数日間ばあちゃんを慈しみ、一緒に過ごせた時間は幸せそのものだったと思います。
人それぞれの終わり方があるのだと思いますが、これがばあちゃんにとっては最高の終わり方だったと思います。
それを叶えてあげることができたのは、間違いなく靈氣のおかげだと私達家族はそう信じて感謝の気持ちでいっぱいです。
来週の後半から仕事も入っておりますが、49日の間はラベンダー部屋は仏間と化しておりますので、隣の部屋で仕事することになるかと思いますのでご了承下さい。
まだ、涙腺が弱い状態ですが、さらに精進していきますのでどうぞこれまで同様よろしくお願いいたします。
ということで本日も最後までお付き合い下さりありがとうございました。