「一時の癒え」に力を注ぐ

直伝靈氣師範のながよしです。

月曜日火曜日に久しぶりに直伝靈氣の前期セミナーを行いました。(セミナー日記は別のタイミングでアップさせて頂きますね。)

受講者さんは、お客様のご紹介で三か月前から靈氣ヒーリングを受けに来て下さるようになり、先日ご自身でも靈氣ができるようになりたいと習得をご決断されセミナーを申し込んで下さいました。

誰かの病気を治したいと思っているわけではなく、誰かが少しでも楽になってくれたらいいなって思って習いたいと思いました。

そう習得しようと思われた動機の一つを話して下さいました。

彼女は看護師さんなので、患者さんの苦しみも沢山みて来られましたし、旦那様は透析をしていらっしゃる方なので、それがどんなにしんどい事かもとってもよく分かっていらっしゃます。

そしてその苦痛が一時でも和らぐ事ができたら、きっとその人達はどれだけ救われるだろうという事も分かっていらっしゃるのでした。

病気はどうする事もできないかもしれないけど、せめて癒えてくれたら嬉しいなって思って靈氣を実践されると、とても気楽に靈氣を続ける事ができるのだと思います。

何が何でも治したい!と思ってする靈氣実践は、長く続ける事はできませんからね。

「治って欲しい」ではなく「癒えて欲しい」

最近私が感じているキーワードでもありましたので、彼女のお話しをお聞きした時はとても感動致しました。

ここからは私のこと

直伝靈氣は「癒し」以上の効果を望める事が多いので、最初の一年間だけでも非常に多くの治癒的なミラクルが起きました。

そんな事が続くもんだから未熟な私はいつしか、靈氣への期待値も上がっていき「治って当たり前」「治してあげたい」「治って欲しい」と治癒にばかり意識がいってしまうようになりました。

靈氣をするたび、治るのかどうか結果が気になって気になってしんどかったんです。

でも「治したい」という思いが治癒を余計に遠ざけてしまう事にも、早い段階で気付く事ができました。

だからもう「結果はすべて天に任せしよう」と、壁にぶつかるたびにそう言い聞かせているうちに、だんだん気楽に靈氣ができるようにもなったのです。

たとえすぐに根治しなくても、いっときも苦痛から解放されない人にとっては、手を当てている間の、痛みが和らいでくれる時間は本当に天国なんだと思います。

その一時を味わってもらうために、手を当てる

そう思って靈氣をしていた方がいいのだと思えるようになりました。

そうこうしているうちにいつのまにか、治ってたっていう事が増えていきました。

 

この前、脳の手術で意識が戻らなくなってしまった患者さんへの遠隔をさせてもらったのですが、靈氣はその間めちゃくちゃ流れていっておられましたが、結局いまだに完全には意識は戻ってはくれなかったのです。

しかしご家族の方が面会して患者さんのお顔をみると思っているよりも穏やかだったそうなので、気持ちを落ち着けることができたのだという話をお聞きしました。

もちろんご家族にとっての本当の心の安堵は、当然ながら患者さんの意識が戻っていつも通りの笑顔を見せてくれる事でしょう。

しかし意識のない患者さん本人にとっては、靈氣を浴びていたあの時間はきっと至福の時間だったに違いありません。

あの光のシャワー、暖かい光に包まれてベットと自分の体の境目が分からないくらい無重力を感じ、ふわふわふわふわ、得も言われぬ心地良さでただただ気持ち良かったに違いありません。

もちろんこれは私の想像に過ぎませんが、あれだけ気持ち良く靈氣を吸っていたんですもん、きっと「あの極上の体感」を味わっておられるはずです。

一時なのことかもしれませんが、せめてその一時でも苦痛から解放されておられるのなら、私はとても嬉しいなって思うのです。

直伝靈氣はパワフルなゆえに、ついつい期待が膨らんでしまうけど、そこに落とし穴があるんだということも長年実践していくうちにわかり、今は「一時の癒え」を提供させてもらう事に力を注いで、靈氣を続けていたいなって思います。

一つの事をずーっとしていても、その学びに終わりは本当にないんですね(#^.^#)

まだまだ精進です!

ということで本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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