「こっそり靈氣」も悪くはないけど
直伝靈氣師範のながよしです。
今日は靈氣のセミナーがありました♪また今度セミナー日記書かせて頂きますね(*^^*)
寒さのせいか今月に入り、一年ぶりくらいに偏頭痛、二年ぶりくらいに頸椎のヘルニアの痛み、そして腰痛やら胃痛やら、一気に痛い処だからけになってしまって、心が折れそうになりました。(ここ数か月自分に靈氣する時間がなかったこともあり💧)
だけど今はほぼ痛い処がなくなりましたよ(^^)v
実は主人が遠隔してくれてたようで、今日は頭、今日は首とかって日によって別々のところに靈氣を流してくれてました。
それで、主人に「今日はここを流してみたけど、痛みはどう?」って聞かれて初めて、痛みが消えている事に気付くっていうのが、ここ数週間のパターンでした。
そこでつくづく思ったのです。
あんなに痛かったのに、そこが痛まなくなっている事に気付かないなんて、人って不都合な事には敏感なのに、都合の良い事には鈍感になるものなんだなって(;^_^A
主人が、靈氣を流していた事を教えてくれなかったら、何の感情もなく素通りしていたかもしれないけれど、それが靈氣のおかげだったと分かった途端に「だから痛まなかったのかー💛」って喜びと感謝の気持ちが湧いてとてもハッピーな気持ちになることができました。
今まで受け手側のそのような気持ちに意識を向けたことはなかったのですが、靈氣をしてくれてた事を教えてもらえてなかったら、喜ぶ機会も感謝する機会も感動する機会も与えてもらえなかったんだなって思うと、「靈氣したよ」「靈氣するよ」は言ってもらった方が嬉しいなって思いました。
靈氣療法士さんの中には、靈氣が出来る事を誰にもカミングアウトされていない方も結構いらっしゃるんじゃないかと思うのですが、「こっそり靈氣」を沢山して、こっそり効果を実感され、あれこれとデータが溜まってきたら、カミングアウトに挑戦してみるのもいいのかもしれませんね(^_-)-☆
「楽になってくれさえすればいい」
という無償の愛も十分に素晴らしいけれど
無償の愛を捧げたい相手には
「楽になった舞台裏を知ってもらう」
ってことも、捧げてあげれる一つなのかもしれませんね。
お客様方が良い例だと思うのですが、自分が楽になった「舞台裏」を知っておられるかたは、自分の本当の力に感動もでき、改善途中も改善された後もスルーすることなく感謝しておられるし、だからとても幸せが増えてて、なんだか生き上手になっていかれるんですよね。
そんな機会を与えてあげられるってこともありますので、次のステージでは「内緒靈氣」ではない靈氣もチャレンジして頂けると面白くなりますよ💛
って私の主観なので、スルーして頂いて構いませんからね(^^ゞ
(ちなみは私は仕事以外は家族にしか舞台裏を伝えてません)
ということで本日も最後までお付き合い下さりありがとうございました。