怪しむ目も大事

直伝靈氣師範のながよしです。

8年前に、靈氣を身に付けた事を人に言う時は結構勇気がいりました。

怪しまれるのは必至ですから(笑)

在りもしない幻想をみている痛い人?はたまた巧妙な話術で人を操る詐欺師集団?

なーんて思われていたかもしれないけど、今はどう思われても気にならないですし、「分かって欲しい」という感情もありません。

靈氣を習われた方々がよくおっしゃるのですが、家族やお知り合いに靈氣の事をカミングアウトすると、「大丈夫?騙されているんじゃないの?」って心配されるのだと。

そうなりますよね(笑)私も逆の立場ならそう言うかもしれません^^ゞ

私はそう言って心配してくれる方々の目はとても大事なのだと思っています。

何にも感化されていない冷静な目で見守ってもらうって、今後も間違った風にズレていかない自身の抑止力に繋がるからです。

必死に「分かってよ!」って周りを諭すより、「大丈夫かどうか見ててね」って心配の眼差しを受け入れていた方が自分にとっても得なんです💛

面白い事に、周りから「大丈夫?」って心配されたという療法士さん達の口調を見るととても和やかで笑いながら話されているのですよね。

心に余裕がある証拠です。

疑われてもあまりムキになったりもしないし腹も立てておられない。

どうしてそんな風になれるのか?

それは実感があるからです。

靈氣が幻想や口車に乗せられて信じさせられたものではなく、実際に自分の体で感じ、それでも疑ってはみるもののやっぱり感じられるという体験を何度も何度もしたからですね。(少なくとも私はそうでした)

自分さえそれが分かると「人に何が何でも分かって欲しい」って気持ちがなくなるんです。

いつか分かってもらえたらラッキー

その程度です(*^^*)

時間もたっぷりある事だしね(90歳すぎても靈氣の仕事を続けるつもり)

 

「自分を大切に思ってくれる人から思い存分心配してもらって、いつかは安心してもらえるようになる」

これが本物の力

 

ということで本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。