靈氣が上達すると訪れる次なる試練
直伝靈氣師範のながよしです。
靈氣は困った時の救世主です。
それを浴びると元気になるからです。
ただ、自然現象のように
空から降ってくる雨が乾いた土壌を癒すように靈氣も自然に空から降ってきて人を癒しているというわけではないのです。
必ず人の体内を経由して手などから放出されたものを浴びてもらうことでようやく人への癒しが叶うという仕組みになってます。
つまり、人が人に手をあてるという行為をしない限り、靈氣の恩恵を頂く事はできないということです。
なので、どんなに靈氣が救世主に成りうるものであっても、施術者が靈氣をしないと救世主になることはないのです。
今日は「だからどんどん人に靈氣をしてあげましょう」というお話しではありません。
靈氣がどれだけ優れていてどれだけ頼もしい存在であるかを知っている人は特に、時々、周りに困っている人がいると靈氣しなければいけないんじゃないかって義務を感じたり、靈氣をしてあげないことに罪悪感を抱くって現象に陥ってしまうこと、あると思うのです💦
でも、靈氣は自分を犠牲にしてまでするのもではありません。
靈氣をしてあげれば良い事は分かっているのに、靈氣をする気乗りがしない
って事
誰にでもよくあることだから(^^;)
そんな自分を責めないでくださいね。
私達は神様でもなければマザーテレサでもなく
ただの人間
私は思ってます。
人を介さないとできない靈氣も空から降ってくる雨と同じなんだと
すべてが自然現象、すべてが運命みたいなもの
どんなに靈氣を必要としている人が近くにいたとしても、施術者が靈氣をしたいと言う気持ちが湧かなければ、それはそれでいいのです。
どんなに日照りが続こうとも、お天道様ですら気まぐれに雨を降らすのに、私達が必要な所にすべて靈氣を届けられるわけがないのです。
それを分かって神様は私達人間にも靈氣を使うことを許してくださったのだと思います(*^^*)
私自身、義父が去年脳梗塞で倒れた時や間質性肺炎悪化でもう危ないと言われた時は二ヶ月毎日靈氣ができましたが、後遺症も残らず肺炎も奇跡的に回復したら、その後は寝たきり状態ではあったけど、もうほとんど靈氣もしていません。(それでも最近は30Mほどなら手も繋がずに一人で歩けるし12段くらいなら階段も上れるようになってるそうでビックリ、まあ認知症にはなってますが)
義父に意地悪をしているわけではありませんよ(^^;)
「その手は他のことに使って」と自分の心が言うのです。
だから自分の心に従って靈氣はしていないだけなんです。(実際たまにやるとあまり流れないし💦)
義実家のほうではコロナや骨折や怪我などいろいろ義父以外の家族も大変なことが続いておりますが、「その手は他のことに使って」という心の声はまだ続いているので、遠慮なく自分の家族や仕事のために私の手は使わせてもらってます。
私が靈氣をずーっと大好きでいられるのは、そんな心の声にちゃんと応えてあげているからなんですよね。
靈氣の腕が上がってくると、次なる試練
義務感や罪悪感を抱いたり、自己犠牲で成り立つ靈氣は絶対にして欲しくない
(また上達すると不思議と無償靈氣の依頼も増えてきますしね)
最近本当に皆様の靈氣が上達していきていると感じているので、ふと記事にしてみました。
参考になれば幸いです。
ということで本日も最後までお付き合いくださりありがとうございました。