靈氣に頼ることと靈氣に依存することの違い
直伝靈氣師範のながよしです。
「靈氣に頼ること」と「靈氣に依存すること」は同じではありません。
依存とは、「それなしではいられない状態」になってしまうことですね。
『何かある度靈氣にばかり頼ってて本当にいいのだろうか・・・』『これって依存になるのかな』
そんな不安にかられたことのある人も少なからずいらっしゃるかもしれません。
そう思った事のある人は
実際に靈氣に助けてもらった人
靈氣の成せる技を身を持って知ってる人
だから何かある度靈氣に頼ってしまうのは当たり前の行為ですね。
でも、捉え方一つでそれは依存にもなってしまうのかもしれません。
靈氣がないと生きていけない
靈氣をしないと自分はダメになってしまうかも
靈氣をしないと家族はダメになってしまうかも
そんな思いを持ちながら靈氣をしていると、「なにがなんでも」って意固地になってしまい、結果しんどい靈氣になってしまうのかもしれません。
私はどう捉えて靈氣をしているかといいますと
靈氣がなくても生きていけるし
靈氣をしなくても自分はダメにならない、家族もダメになんてならない
しなくてもいいけど、したら尚良し
そんな感じで靈氣をしています。
100%思い通りのペースで思い通りの結果に結びついたのなら、もしかして、依存に近い状態になっていたかもしれないけど、100%思い通りになったことなんてないから、いつも「一か八か、とりあえずやってみるかー!」って気楽な感じで靈氣を活用しています。
だから、「めんどくさい」が勝った時は靈氣なんて全然しないし、だからと言ってその怠け行為が凶と出たこともありません。
母を含め、亡くなっていった親類達に対しても、あのときもっと真剣にこまめに靈氣してあげてたら助けてあげられたかもしれないという後悔なんてしていないからです。
靈氣がなくてももともと大丈夫だけど、あればもっと大丈夫
靈氣がなくてももともと平和だけど、あればもっと平和
靈氣がなくても幸せだけど、あればもっと幸せ
靈氣をしないことの弊害は、危険になったり不幸になったりすることではなく
ただ、「尚良し」と言う状態が「良し」のままでいるだけに過ぎません。
だから強迫観念を抱くことなく、気が向いたときだけ「得」しよう的な気持ちでいられるのです。
靈氣だけではありませんね。
これを飲んでいないと不健康になりますよ
これをしないと不幸になりますよ
ここの信者だけが生き残りますよ
恐怖にかられて始めたことは続けていくうちに依存へと変わって余計生き辛い人生になってしまいます。
それは本末転倒ですよね。
どうせなら、
これを飲まない私も十分健康!でももっと健康になっとこ
これをしなくても私は十分幸せ、でももっと幸せになっとこ
これを信じていようがいまいが、お約束がくるまで私は生きていられる
そう思って、「それ」に頼って生きていた方がどれだけお得な人生になるかしれませんね。
あちこち故障していく私であっても十分健康
なんだかんだあるにはなるけど十分幸せ
どれだけあるか分からないけど頂いた人生精一杯たのしまなきゃ
そう思わせてくれるのは靈氣に頼ってこれたから💛
靈氣に頼ることと、靈氣に依存することの違い
似て非なるもの
そんなことを感じたこの頃でした。
ということで本日も最後までお付き合い下さりありがとうございました。