神道の教えが取り入れられている靈氣

直伝靈氣師範のながよしです。

先日、主人が昔仕事で少し携わったという知人の方が、是非ありがたい教えを聞いてもらいたいと、話をしていかれました。

私はこういうことは自然に自分で気付いていくものだし、聞きたい時に自然に耳に入ってくるものだからと、さりげなく遠慮させてもらいました(^^;)

そのかたが帰られて、「仏教?かなとても良い話だったよ」と主人は素直にお話しを聞けたことに感謝してました。

主人にとっては、その話を聞くタイミングだったようですね(#^.^#)

でも、そのかたは凄いな~。すごい修行ですよね!

必ずしも受け入れてもらえるか分からない相手に、直接会ってお伝えする勇気、私には一生持てません。

もし靈氣にその修行がついてまわるようなら、私は靈氣を好きにはならなかったでしょう。

なぜ私が学んだ直伝靈氣は、こんなにやりやすいのかを少し考えてみました。

この直伝靈氣の教えは「神道」の教えをもとに作られたということを思い出しました。(ただ靈氣は宗教ではありません)

実は私「神道」については無知であまり詳しくないんですよね。

そこでちょっとネットで調べてみると

教祖がいないこと

教えの教科書がないこと

教科書から学ぶのではなく、自分で感じて自分で学ぶもの

一人一人が神であり自然のすべてが神であり、それらを敬おうとする心が神道の教えなのだとか。

さらに神道では、完全無欠の神は存在せず、それぞれの神が足らない所を補いあって存在する

ざっとこのような事柄をみつけることができました。

神道のことは全くと言っていいほど知らなかったのに、これらの教えは靈氣生活をしている中で、いつのまにかしっかり私の中に溶け込んでいたことに改めて驚かされます。

直伝靈氣においても、教祖をいうものをおいておらずピラミッド型で偉い人を形成しているわけでもありません。皆がフラット皆が同じ位置で、ひとたび、人より上とか人より下という意識を持つようになると、途端に靈氣の流れは悪くなっていきます。

そしてちゃんとしたマニュアルの教科書もありません。ルールもありません。

その代りに「感じる力」を蘇らせてもらいます。その能力を使って自分達で感じ自分達で気付き、誰のペースにも合わさせられることもなく、自分達のペースを大事にして靈氣の力を育んでいます。

何かを強制したり、誰に価値観を押し付けては、靈氣が靈氣ではない悪いモノに変化してしまします。

靈氣をしているうちに、自然に自分を敬い、自分を肯定し、人を敬い人を肯定ていくようになっていきます。

そしてどんな自分でもいい、完璧でなくてもいい、気分次第でもいいということに気付いていくだけで、靈氣の流れはとても良くなっていきます。

靈氣と上手く付き合っていく方法を探っていくうちに、自然に神道の教えに導かれていたようです。

すべてが靈氣実践とリンクするこの教え

これに出逢えたのはたまたまのこと。

私が自分にぴったり合った道をたまたま選べたように、さきほどのお話しした知人の方も自分に一番合った道をたまたま選ぶことができたに違いありません。

そしてそれはずっと前から決まっていた約束事であり、必然だったのでしょう。

お互いに辛いと思われる修行は、本人にとっては喜びなのかもしれませんね。

それそれがそれぞれの道で、「人生を楽しむ」という修行をしているのだと思うとさきほどの方にもお互いに頑張りましょう~ってエールを送りたい気持ちでいっぱいになりました。(*^^*)

最初はちょっと迷惑な出来事が舞い込んでいたなって思っていたのですが、いろいろ考えるきっかけになり、少しだけ勉強できたかな~なんて思っています♪

 

ということで本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。