靈氣に感謝
直伝靈氣師範のながよしです。
先週の今日、夜に娘から電話がかかってきました。
娘の旦那さんのおじいちゃんが肺炎で、どこに遠隔したらいいかなっていう相談
おじいちゃんは闘病中にコロナに罹って入院中
もう酸素も上手く吸えなくなっているとのこと。
おそらく重篤な状況に気負ってしまい、普段なら私など必要とせずとも勝手に思ったように遠隔していたのでしょうが、きっと心細かったのだと思います。
じゃお母さんも遠隔してみるよ~と電話を繋いだまま遠隔しておりました。
「なんか肺じゃなくて頭に流れていくんだよね・・・私がやると」
って娘が言ってるのを聞きながら、私も頭に強烈に流れていくのが分かりました。
もうひとつおそらく心臓にも強烈に。
肺じゃないんだ・・・
娘は頭に、娘の旦那さんは心臓にそれぞれ遠隔中
三人でおじいちゃんへの遠隔タイムが始まりました。
実はこの時、三人の手の反応が見事にリンクしていたんですよね。
受け手が上手く靈氣を吸ってくれると、強弱を繰り返しながら靈氣を吸っていくのですが、その波を私達三人は同じようにとらえていました。
反応が上り坂になり、下り坂になり、穏やかな状態だったり、再び上り坂になったり
今、みんなおじいちゃんの体に一緒に触れているんだなってことを自覚して不思議な一体感がありました。
娘がこんなに激しく流れるんだもん、おじいちゃんまだまだ大丈夫ってことだよね!!
って言ってました。
翌日おじいちゃんは帰らぬ人になりました。
靈氣が無力だなんて思いません。
それは母の時に悟りました。
靈氣は寿命を延ばす道具ではありません。
靈氣は定められた寿命の範囲で、最後の最後まで自分にとっての最善を与えてくれるもの
おじいちゃんは、生き延びようとして激しく靈氣を吸っていたのではなく、いかに気持ち良く楽に命を使い切りたいと思って激しく靈氣を吸っていたのでしょう。
おじいちゃんの最期の時間は「心も体も極楽じゃ~」ってうなりたいほど心地良かったに違いありません。
今まで生きてて本当に良かったわい(笑)って思えるほどギリギリまで素晴らしい最期の時間を過ごすことができたのではないかと私は信じています。
もっとやってあげれたことはいっぱいあったはず
大事な人を亡くした人は
してあげた事ではなく、してあげれなかった事に心を持っていかれてしまうのです。
そして後悔だけが残ってしまうのです。
それが自然の摂理とでもいいましょうか・・・
だから頑張って
「してあげた事」を一つでも多く思い返す必要があるのです。
たとえば靈氣もその一つ
靈氣では寿命を延ばすことはできなかったかもしれませんが、人生の最期の締めくくりを最高に気分良くお別れすることができたこと、おじいちゃんは大変喜んでいると思います。
これからも皆さんは多くの人達に靈氣をしていくことでしょう。
そして寿命を迎えられるそんなタイミングに靈氣をさせてもらう機会も
その時に、無力を感じないで欲しいと思います。
最後の最後まで幸福感を与えてあげれた奇跡に感謝して靈氣療法士であることを誇りに思って下さいね。
この場を借りて言うのもなんですが、おじい様のご冥福をお祈り申し上げます。貴重な体験をさせて下さりありがとうございました。
ということで本日も最後までお付き合い下さりありがとうございました。