靈氣は魂に流れる
直伝靈氣師範のながよしです。
今週はお二人の方が後期セミナーを受けておられます。
セミナー日記はまたおいおいアップしていけたらと思います。
先日私の靈氣の先生が
「靈氣はどこに手を当てようと真っ先に流れていく場所は『魂』なんです」
そうお話ししておられたのを聞いて、
きっと彼女達の魂さんも、今の靈氣生活でも十分満たされるようになってきたから、次なるステージを求めて進んで下さったのかなって思いました。
それにしても真っ先に「魂」に靈氣が流れていってるなんてね~。
びっくり!(聞いたことあったのかもしれないけど💦)
「魂の流れる過程でついでに肉体(都合の悪い所)を治していってるんですよ。」
先生のその説、納得いかなければスルーするんですが、私にはすごく腑に落ちました。
今まで謎に思っていたことですが、靈氣と相性の良い人とそうでもない人の差ってなんなんだろうって。
ようは、靈氣を受けて心身の改善が実感できる方と、実感できない方。
実感できる人はもの凄く感動されますが、実感できない人はきっと凄くがっかりしていたと思うのです。
それを「個人差」っていうざっくりとした言葉で片づけちゃうとなんか諦めなくちゃいけないのかなって思うのですが、もっと違った表現で「差」が分かれば説得力がでてくるのにと思っていました。
靈氣の流れる優先順位は何があろうと「魂」が一番
「本来あるべき状態に戻していくために」に私達のもとに降りて来てくれるのが靈氣です。
魂に流れると言うのは、その魂があるべき状態ではないということですね。
魂が本来あるべき状態に近い生き方をしている人と遠い生き方をしている人とでは、当然魂に流れる時間も大きく違ってくるわけですね。
その分肉体は順番を待っていなければいけないから、すぐに改善がみられない。
だから実感がなかなか持てない。
確かに思い当たることがあります。
以前自分を抑えて我慢して生きているという友人に靈氣をしたときに、痛むと言われる患部に手を当てても、反応がほとんどなかったのを思い出しました。
その間、靈氣はきっと彼女の魂に向かって必死に「あるべき状態」にするべく流れていたのでしょう。
患部がよくなるまでに一年近くもかかったにもかかわらず、しかもその間靈氣のエネルギーを一度も体感したことのない彼女が、ずーっと通い続けてくれたのはある意味、凄いな!って感心してました(笑)
体感もできないのに、こちらに彼女を向かわせていたのは紛れもなく彼女の魂だったに違いありませんね。
魂の改善もまたずに一回の靈氣でもう自分には合っていないと諦めてしまう人もいるかもしれませんが、今一度、自分の魂に目を向けてみるといいのかもしれません。
本当に私、自分らしく生きていのかな?、自分を殺して生きてないかな?ってね。
そしてもし、自分がしたいなって思う事が人の迷惑になるかどうかと心配なら、自分の良心に聞くのが一番です。
「人の目を気にして胸を痛める」のと「良心が痛む」のとでは次元が違います。
良心は魂の訴え
良心の痛みが常に伴う「自分らしさ」は本当の自分らしさではないです。
逆に良心が痛まないのであれば、そのまま思いに従って生きていればいいんです。
靈氣がまったく効かない人なんてこの世にいません。
もし効かないと思っている人は、よくなって欲しいと思っている部分が後回しにされているだけ
魂が先
「本当に生きていく上で大事なのは、あるべき魂で生きる事」
そう靈氣は私達に教えてくれていたんだなって思うと改めて奥の深さに感動します。
今回はちょっと分かりづらい内容になったかもしれませんが伝わる方にだけでも届いてくれたら嬉しいです。
ということで本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。