間違った人助け
直伝靈氣師範のながよしです。
今日お越しのお客様。
介護士のお仕事をしていらっしゃるのですが、大柄な方のお世話をして腰を痛めてしまったのと、全身クタクタになってきたということで靈氣ヒーリングを受けていかれました。
やっぱり、ここ(ラベンダー)が一番だわ~。本当楽になるもん♪
そう言って大きくため息つきながら、ほっとした表情で喜んで下さいました💛
なんとも嬉しいお言葉~
誰かのお役に立てれるって本当にハッピーな気持ちにさせられますよね♪
でも・・・
役に立つ事ができればなんでもハッピーかというとそうでもないんですよね💦
その感覚はとても大事な感覚だなって最近思ったのです。
最近起きた私の葛藤のお話し
先日、5,6年ほど前に療法士になれたお客様からのご要望で復習会をさせて頂きました。
ずーっとお会いしていなかったし、どんなお話しができるのかとても楽しみにしていたけど、その方の本当の目的はフェイシャルマッサージのモデルの依頼だったのです(^^;)
顔が痒くなるので元々顔を触られるのは苦手なんですが、求めていない人に靈氣の話をするのはもっとしんどいから、靈氣の質問や話したい事がないのであれば、すぐにマッサージの練習されてもよいですよってお伝えすると、是非マッサージさせてくださいとの事でしたので、復習会ではなくマッサージ練習会になってしまいました。
周りにモデルとなってくる人がいなくて困っておられた彼女にとってはこの復習会?はとてもありがたい時間となったそうで、大変喜んで下さり感謝もして下さいました。
縁あってこちらで靈氣を習って下さった生徒さんが、こうして新しい事に挑戦して歩み出す事は私にとっても嬉しい事ですし応援もしたいって思ってます。
でも、私はその後ずーっと気分が悪かったのです。
あんなに喜んでくれたのに、彼女のお役に立てたんならいいじゃない。
ってずーっと自分に言い聞かせていたんだけど、だんだん自分にも腹が立って仕方がなくなりました。
そして気付いたのです。
私は、私のしたい事で人のお役に立ちたいんだ。
私のしたくない事で、人の役に立っても全然幸せなんて感じない。
もうこんな人助けはしないでおこうとね。
彼女が少しでも靈氣の事を話してくれたり質問等してくれたり、そして少しでも靈氣愛をみせてくれたら、私がモデルとなった時間も意味が持てたと思うのですが、残念ながら全然それが伝わってこなかったんですよね。
「靈氣なんてずーっとしてなかったしなんなら今も靈氣愛なんて全然持てない!だけどまた靈氣を勉強したくなった」って言って下さる療法士さん達の事は心の底から応援したいと思うのに、靈氣の事などどうでもいいと思っておられる人にとっては、私もどうでもいいと思ってしまうんです。
その助けは私でなくてもいい助けだからね。
良かれと思ってやったことでも、相手に喜んでもらえなければ、それはただのお節介
相手は喜んでくれたけど、自分は喜んでしたわけではないのであれば、それはただの自己犠牲
どっちも、してはいけない事。
ギブ&テイクが成立しない人助けは、人助けと言わない傍迷惑
自分の心が嬉しがっていて、相手の心も嬉しがっている
それが本当の人助けであり自分助けなんだね💛
この感覚をちゃんと大事しないと、お節介になったり、自己犠牲になったりもするから、いくら生徒さんと言えど自分の心に従って判断していきたいなって思いました。
もし間違った人助けで葛藤しておられる方がいらっしゃるなら、参考にしてもらえると嬉しいです。
ちょっと傲慢な記事になったかもしれませんが最後までお付き合いいただきありがとうございました。